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歴史と開発history
土地の歴史
かつて、ここは、江戸時代 萩藩 毛利家下屋敷でした。明治時代に陸軍駐屯地となり、終戦後には米軍将校の宿舎、日本に返還された後は防衛庁の檜町庁舎として、実に400年あまりの間、一般には閉ざされた土地として使われていました。
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山口県文書館所蔵江戸麻布御屋敷図
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陸軍参謀本部発行五千分一東京図
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米軍将校宿舎
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防衛庁
開発
2000年、防衛庁本庁が檜町から市ヶ谷に移転したことから、この街の新しい都市計画が始まりました。広大な緑を臨む港区立檜町公園を含めた再開発事業です。2001年9月、コンソーシアム6社がこの土地を落札することで、このプロジェクトはスタートしました。民間都市再生の事業認定を受け、関係者のご協力のもと、2007年3月にグランドオープンを迎えました。
2001年4月 | 「赤坂9丁目地区再開発地区計画」告示 | 2004年2月 | 建築確認取得 |
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2001年9月 | 一般競争入札 | 2004年5月 | 民間都市再生事業認定、工事着工 |
2002年2月 | 土地所有権の移転 | 2007年1月 | 工事竣工 |
2003年9月 | 実施設計完了、開発許可取得 | 2007年3月 | グランドオープン |
土地の記憶
既存樹木の移植
東京ミッドタウンには、旧防衛庁敷地内に残された約140本の樹木が引き継がれています。
樹木の保存にあたっては、まず、1本1本、既存樹木の調査を行い、移植に適した樹高14~15mを超える約140本を選びました。環境変化を避けるため同じ敷地内に設けた樹木育成エリアに一旦仮移植し、建築工事期間中はその場所で育成。外構整備後に現在の場所に本移植する形をとりました。移植にあたっても、なるべく枝や根を剪定しない樹木に優しい工法を採用しました。こうして保存した樹木は、2007年3月30日のグランドオープンに、見事な桜の花を咲かせてくれました。

都市景観
東京ミッドタウンの配棟計画は、伝統的な日本庭園の宇宙の中心性を象徴する石組みの配置になぞらえたものを基本コンセプトとしています。
また開発にあわせ、外苑東通りの拡幅や電線の地中化工事、都営大江戸線六本木駅舎の改築工事を行うなど、周辺の都市景観にも配慮しています。
電線の地中化


大江戸線六本木駅 駅舎の改築
