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ARTICLE

VOL.012021.8.26(THU)

アートがつくるポストシティ
~東京ミッドタウンとアルスエレクトロニカが考える街とビジネスの未来〜

2017年、東京ミッドタウンはアルスエレクトロニカ(ARS ELECTRONICA)との協業を始めました。
アルスエレクトロニカとは、オーストリアのリンツ市で1979年から始まったメディアアートの祭典「アルス エレクトロニカ・フェスティバル」を統括する組織で、リンツ市の公社でもあります。フェスティバルだけでなく、美術館と研究機関、国際コンペティションなどの様々な機関から成ります。これらの機関を有機的に結びつけながら、アートを通じて社会課題や問題意識を共有し、議論やイノベーションを促すことで、水道の蛇口をひねると水が出てくるような文化インフラとして、〈未来〉を市民に提供することを使命としています。
そうしたアルスエレクトロニカとの協業を始めた2017年は、東京ミッドタウン開業10周年でもありました。本来、建物は時間とともに経年劣化するのが普通ですが、そうではなく時間とともに磨かれ、良くなっていく「経年優化」を掲げ、そのための新しい試みとして行われたのが、アルスエレクトロニカとのコラボレーションです。

そもそもなぜ、アルスエレクトロニカとの協業なのか?
東京ミッドタウンは街づくりのコンセプトの一つに「クリエイティビティ」(Creativity)を掲げています。最先端のテクノロジーがもたらす新しい創造性と社会の未来図を提案するアスルエレクトロニカと協業することによって、より豊かで持続可能な未来社会をつくるためのアイデアやイノベーションが発信される、あるいはそれに人が触発される場所を創出することを目指しています。
その思いを具現化すべく、2017年から始めたのが「未来の学校プロジェクト」です。〈学校では教えてくれない未来のことを考える新しい場所〉をコンセプトに、東京ミッドタウンのシーズナルイベントの一環として、当初は小規模な展覧会やワークショッフなどを実施していました。
2019年からは「未来の学校祭」という名のフェスティバルにアップデート。東京ミッドタウン、アルスエレクトロニカ、アーティスト、そして企業や大学も参加し、第1回(2019年2月21日〜24日)は4日間で延べ12.3万人、第2回(2020年2月20日〜24日)は5日間で延べ13万人を動員し、着実にこの取り組みのファンを増やしてきました。

しかしその直後、新型コロナウィルス感染症の大きな波が日本のみならず、世界を襲いました。
社会のあらゆる活動がストップした中、アルスエレクトロニカとの連携による〈文化インフラ創出〉のうねりを止めないためにはどうすればいいか、検討の結果見えてきたのは〈日本はコロナ禍を経てますます不寛容な社会になってしまったのではないか〉という危機感です。
何ごとにも厳格で精緻な対応が求められる社会は、世界に通用する高品質なサービスや商品を生み出す土壌ではあるものの、失敗を許さない窮屈な雰囲気を醸成しがちです。
こうした社会の中で、「街」としてどんな体験を提供するべきかを考えたときに、これまでのような受け身で体験を「浴びる」コンテンツではなく、来場者一人一人の能動的なアクションを「触発する」コンテンツであるべきだという答えにたどり着きました。

目指すのは、時代を切り拓き、新たな未来を共に築き上げていくためのムーブメント。
それを発信する場所として、今夏から〈未来の学校 -ONLINE LABORATORY- アートを通して未来社会をつくるアイデアの実験場〉を本格稼働させました。
その第一弾が、今回のスペシャルインタビューです。

(聞き手:東京ミッドタウン アルスエレクトロニカ連携プロジェクト プロデューサー 藤谷菜未)

話し手

  • 齋藤 精一

    齋藤 精一
    Seiichi Saito

    1975年神奈川県生まれ。建築デザインをコロンビア大学建築学科(MSAAD)で学び、2000年からニューヨークで活動を開始。03年の越後妻有アートトリエンナーレでアーティストに選出されたのを機に帰国。フリーランスとして活動後、06年株式会社ライゾマティクス(現:株式会社アブストラクトエンジン)を設立。16年から社内の3部門のひとつ「アーキテクチャー部門」を率い、2020年社内組織変更では「パノラマティクス」と改める。
    2018-2021年グッドデザイン賞審査委員副委員長。2020年ドバイ万博 日本館クリエイティブ・アドバイザー。2025年大阪・関西万博People’s Living Labクリエイター。

  • 清水 陽子

    清水 陽子
    Yoko Shimizu

    アーティスト/リサーチャー(アルスエレクロトニカ・フューチャーラボ)
    アルスエレクトロニカ・フューチャーラボの研究員でアーティスト。生物学と化学のバックグラウンドを持つ。企業のクリエイティブディレクター及びコンサルタントとしてキャリアをスタートし、その後に自身のラボを立ち上げ、科学と芸術を融合した革新的な技術やインスタレーションを開発し、世界中の企業、行政機関、ミュージアム、大学と協業。クリティブな街づくりや都市開発のプロジェクトにもディレクターやアドバイザーとして参画。国際イベント、会議、教育機関での講演も行う。

  • 小川 秀明

    小川 秀明
    Hideaki Ogawa

    アルスエレクトロニカ・フューチャーラボ共同代表。
    2007年にオーストリア・リンツに移住。Ars Electronicaのアーティスト、キュレーター、リサーチャーとして活動。2009年にオープンした新Ars Electronica Centerの立ち上げ、企画展・イベントのディレクションをはじめとした国際プロジェクトを手がける一方で、アート・テクノロジー・社会を刺激する「触媒的」アートプロジェクトの制作、研究開発、企業・行政へのコンサルティングを数多く手がける。アーティスト・グループh.o(エイチドットオー)の主宰や、リンツ芸術大学で教鞭をとるなど、最先端テクノロジーと表現を結びつけ、その社会活用まで幅広く活動を展開している。

※このセッションは東京とオーストリア・リンツをオンラインでつないで行われました。

それぞれ異なる顔を持つ街でアートが果たす役割、そしてアーティストが指し示すべき「一歩先の未来」とは?

藤谷

皆さんは国内外の様々な街でアートを通した実験的な取り組みをされていますが、その活動ひいてはアートがどのように街やビジネスに影響を与えていると思われますか?

齋藤

まず、アートが踏み台になった時代はもう終わりにしたいと思っていて。色々な場所でアートがマーケティング的に、あるいは広告的に使われる、そういうあり方からは完全に脱却すべきだと感じています。
パンデミックの前は、どちらかと言うと世の中はマーケティング主導の経済のつくり方をしてきました。ここに魚がいるから罠を仕掛けよう的に、商機がある場所を再開発してきたと思うのです。
けれど、コロナ禍でそうした方程式をはじめ、あらゆる常識が通じなくなったいま、アート主導で経済をつくっていくべきだと思います。なぜなら、今回のコロナ禍でもそうでしたが、有事の際に、いの一番に自分の意思を行動に移すのはアーティストだからです。
それは作品を作っているかどうかではなく、出来事に対しての反応速度や瞬発力が高い、そして社会に対して柔軟に向き合える、例えば3.11の時にいち早く荷物をパンパンにして被災地に駆けつけたような、もっと簡単に言えば「別に失敗したってどうってことない」「とにかくやってみる」と思える、そういう思考を僕はアート脳と呼びますが、それを持った人たちですね。
そうした人たちがまず街や時代を切り拓き、その次にデザインの人たち──デザインの人たちは物事を一つの社会に当てはめていくのが仕事なのでなるべく失敗しちゃいけない──その後に一番失敗しちゃいけない企業や産業の人たちが入ってくるというのが、これからの街づくりや産業創出のパターンになってくると思います。

トーク風景

藤谷

もっとアーティストが「一歩先の未来」を指し示していくべきということでしょうか?

齋藤

そうです。展示するだけのアートではなく、これからはアーティスト的な考え方、つまりアート脳による超アクティビズム(積極行動主義)な哲学をもって行動し、産業と経済を回していく、そういう時代に入るべきだと思います。

藤谷

ニューヨークやリンツといった海外の都市で生活された経験がある清水さんはどう思われますか?

清水

齋藤さんがおっしゃったアートが街づくりを先導していくという図式は、世界ではすでに様々な形で起こっています。例えばアメリカのブルックリン。ここはまさにアーティストたちが開拓した街として注目を集めています。以前は配送センターのような倉庫を改装したアーティストコロニーがたくさんあって、荒削りな雰囲気があったような場所も、数年前に行ったらとてもおしゃれな──インダストリアルな荒々しい外観は残しているけれど中におしゃれなブティックやカップケーキ屋さんが入っている──場所になっていて、随分変わったなとびっくりしました。
今その周辺のエリアはバイオの集積地にもなっていて、昔の軍隊の大型倉庫を改装した場所などにバイオのスタートアップやバイオアートギャラリーがあったり、その周りにバイオのコミュニティラボがあったり、それらを中心に学生やデザイナーやプログラマーなどサイエンスやバイオと直接関係ない人もたくさん集まってきたりしていて、新しいイノベーションの苗床となっています。
そのように、荒れ果てた街に果敢に入って行き、活性化して、その結果文化が育まれ、さらにビジネスが生まれていくというムーブメントをつくるのは、アーティストやクリエイティブな人たちの素晴らしい役割だと思います。
ただ、そこには問題もあります。それは、街が発展することで地価が上がり、アーティストたちが出ていかざるを得なくなるということです。実際にブルックリンでは、アーティストが街の外れに追いやられてしまっています。

ドナウ川沿いに広がるリンツの街 photo: Johann Steininger
ドナウ川沿いに広がるリンツの街
photo: Johann Steininger

藤谷

つまりアーティストたちが街を切り開くことで街を発展させる流れは良いけれど、そのおかげで地価が上がりアーティストが住めなくなってしまうというパラドックスが生まれているわけですね。そうなると、果たしてその流れが正しいのかどうか疑問に思えてきます。本来変わるべきは街の形ではなく、その地域に住む人の思考やマインドセットだと思うのですが、どうでしょうか?

齋藤

そもそも、アーティストは商業化された場所にいたくない生き物だと思うし、街づくり的な視点から見ると一つサイクルが回っているようなものなので致し方ないことなのかなと思います。もちろん僕が当事者だったら「家賃上がりやがってコノヤロー!」って反発すると思いますけどね(笑)。
ただ最近変わってきていると思うのは、僕のように経済の中にいながら自分たちの作品を作ろうという人たちが増えてきたということ。ブルックリンでもアーティストが自分たちの活動を守るために「ナショナル・ソーダスト」というライブハウスを寄付金だけで運営しています。
つまりアーティストたちが社会性を持ち始めた。そういう意味では、アーティストがノマド的に動いていくのは一概には悪いことではないし、アートとビジネス、全然違うものを持った人たちが交わろうとしている点では、僕はすごく良いことなんじゃないかと思います。

藤谷

東京ミッドタウンもアルスエレクトロニカとプロジェクトを始めてから、アーティストが何を考え、どういうものの捉え方をしているか、例えば今やろうとしていることが地球全体で見て良いことなのかといった視点を持てるようになったと思います。そういう意味では、アーティストがノマド的に様々な所で活動することによって、その場所の人たちのマインドセットを変えて行ってくれていると言えるかもしれませんね。

第1回 未来の学校祭 “ギリギリ展“≪ピトン≫ by コッド・アクト
第1回 未来の学校祭 “ギリギリ展“≪ピトン≫ by コッド・アクト

コロナ禍を経たアートシーンには「プロデューサー」の視点と能力を持つ人材が求められている

藤谷

パンデミック前は、リアルに会えばなんとなくお互いの佇まいなどから相手の内面も確認し合うことができましたが、リモートではそうはいきません。そうした中で「未来の学校」プロジェクトに参加してくださる能動的な仲間、要は来場者や企業パートナーをどう探せばいいのかというのが私たちの喫緊の課題です。そうした仲間づくりも踏まえて、このコロナはアートの領域に、どのような変化をもたらしていると思われますか?

齋藤

パンデミックの前までは「デザイン・シンキング」というやり方が主流でした。でも僕は「シンキングはもういいんじゃないか?」と思っているんです。特にアーティストの姿勢を自身の行動に取り入れることができる人たち──これは先程から言っているようにアート作品を作っている人だけではなく「分からないけど一回食べてみよう」「怒られてもいいからとにかくやってみよう」ということができる人たちであれば、僕は考える前にまずアクションを起こすべきだと思います。
逆に今やっちゃいけないのは5年先の話をすること。「2030年のアートは……」みたいな話をするのはマーケッターのすることです。アーティストはそんな先のことを考えるのではなく、ドリルの先端として社会の地盤を真っ先に掘り進めながら、明日なり、2ヶ月後なり、アジェンダとして自分が見えているところ、実行できるところに対して何らかのアクションを起こしていくということが、僕は役割としてあると思いますね。
そうしたアクションを起こす際に必要となってくるのが「仲間」です。
僕は仲間集めの際にサークル(circle)、輪(和)という言葉を意識しています。そいつはどういう武器を持っているのか、ドラクエで言うとどんな魔法 が使えるのか、足が速いのか、戦ったら強いのか、そうした人たちとコラボレーションしたら、どういうスピードで何ができるのかということを考えながら仲間を集めています。
だからコロナ禍の2020年に奈良の奥大和でやった芸術祭は、本来3ヶ月で出来るようなものじゃないんですが、結果的に3ヶ月でできたのは、そのプロジェクトに相応しい仲間が集まったからこそだと思います。
その仲間を集めるのが、アートプロデューサーという存在なのですが、そういう人が日本には圧倒的に少ないなと、パンデミックになって改めて実感しているところです。

齋藤精一氏トーク

小川

我々アルスエレクトロニカも齋藤さんと全く同じ問題意識を持っていて、今年から文化庁と協力して「次世代文化プロデューサー育成プログラム」というものを始めました。日本で選ばれた人が、6ヶ月間 アルスエレクトロニカに滞在して、哲学や心構え、そして実践スキルを学ぶというものです。
そして、パンデミックを経てアートシーンにどんな変化があったかという質問についてですが、「本質」ということに向き合わざるを得なくなったのではないかと思っています。アートが消費物として扱われがちだった都市にウィルスが感染してしまったことで、市民としての根本的なレジリエンス(抵抗力)である「文化」とは何か?という根本的疑問、そしてそれを取り巻く現状に大きな課題があることを痛感したと思います。いや、そもそもそうした「文化」を醸成するためのシステムや教育があったのか?という疑問にすら直面してしまいました。それは「日本が未来のための創造戦略として、文化をどう位置付けて来たのか」という重い問いかけでもあります。

清水

(小川)秀さんが言うように、アートの本質的な意味を改めて探究する動きは確かに起こりつつあると思います。また、そうした役割を担うのがアートプロデューサーであるというのも同意見で、例えば私が所属しているアルスエレクトロニカのフューチャーラボにはメンバーが40人ぐらいますけど、皆アーティストやサイエンティストやテクノロジストでありながら、プロジェクトマネージメントもでき、プロデュースもできます。そういう人材は今後ますます必要になってくると思います。

Nicolas Ferrando, Lois Lammerhuber
Nicolas Ferrando, Lois Lammerhuber

斎藤

アルスのプロデューサー見習いの人、インターン期間が終わったらぜひ僕に預けてください(笑)。

小川

もちろんです。ものすごい人材が生まれるかもしれませんね。ちなみにアルスエレクトロニカは公社で、水道局などの都市インフラと同等に位置づけられているリンツ市の公益事業なんですが、市からのサポートだけで活動しているのではありません。全事業の70%ほどを自分たちの力で外部資金を獲得してまかない、活動の幅を広げています。日本でも、そのように経済的に自立しながら市民のための文化インフラを構築できる次世代型プロデューサーの育成が急務だと思います。

コロナ禍で「街」の概念が変わった。これから求められる街づくりとは?そして「未来の学校」のあるべき姿とは?

藤谷

未来の文化インフラづくりを担う次世代型プロデューサーの育成が急務であるとの課題が浮き彫りになりました。では、そうした人たちが活躍するであろうこれからの街づくりについて、コロナ禍を経てその概念や方法論は変わっていくでしょうか?

齋藤

実は今、地方分散と都市集中が同時に起きているんですよ。どういうことかというと、都心部のマンションも地方のマンションも売れているということ。人口は減っているわけですから、おそらく2拠点以上の生活を送る人たちが増えているということなんです。それは、リモートを使えばどんなに離れていようと働けるから。つまり場所という概念がコロナ禍で変わったと思いますね。

清水

私もこのコロナ禍で、「どこ」ではなく「どう」仲間と繋がるかが大事だと気づきました。例えば、去年のアルス エレクトロニカ・フェスティバルは40年以上の歴史で初めてオンラインで開かれましたが、結果的に全世界120拠点をつないで世界最大規模のイベントになりました。それを受けて総合芸術監督のゲルフリードさんがおっしゃっていたことが印象に残っています。「こういう分散型になることで、どこかの街が駄目になったとしても、例えば本部のリンツが駄目になったとしても、フェスティバルとしては生き残っていける」と。つまりアートの影響力は、エリア単体としての街だけでなく世界をつなぐ力があるということを、パンデミックだからこそ実感できたのかなと思います。
また、コロナ禍前から準備していた宇宙飛行のアートプロジェクトがあったのですが、ロックダウンでお互い行き来ができなくなり、かなり苦戦すると思いきや、急速に進化したリモートツール、社会システム、そして分散型のチーム編成を最大限活用することで、先週無事に飛行を成功させることができました。この繋がりは、パンデミックが収束したら、もっと強固なものになるだろうと期待しています。

Ars Electronica Center  Florian Voggeneder
Ars Electronica Center Florian Voggeneder

小川

確かにコロナ禍で快適にコラボレーションが進んだところはすごくありますよね。一方で〈徒歩15分圏内の街のあり方〉というのも問われていると思います。つまり電車に乗りたくない、遠くに行けないという状況で、何を信じるのかという話になると、結局自分たちが息を吸っている「街」しかないというわけです。
具体的には、教育や食、多様なバックグラウンドを持った人との新しい出会い、そういったコト・モノを共有するための、透明性、寛容性、機敏性の高さが、街の価値として問われていると思います。そうした価値を東京ミッドタウンは「街」としてどう創造していくのか、非常に楽しみに見ています。

藤谷

そうした中で、我々の「未来の学校のプロジェクト」は、具体的にどのようなことをやっていくべきでしょうか。

第2回 未来の学校祭 “脱皮展” 既成概念からの脱出 ≪ぶくぶくカーニバル≫ by ギヨミット アンド レ・プラスティシアン・ヴォラン
第2回 未来の学校祭 “脱皮展” 既成概念からの脱出 ≪ぶくぶくカーニバル≫ by ギヨミット アンド レ・プラスティシアン・ヴォラン

齋藤

僕は「未来の学校」を通してコミュニティを作っていくべきだと思いますね。せっかく学校という名がついているのだから、泥臭い人間味あふれたパブリックスペースを地域の人々にエンゲージ(約束)していくことを僕は期待しています。

清水

今、アルスセンターにはお客様が少しずつ戻って来ていて、フェスティバルの時とはまた違うゆったりとした時間の中で、色々な物にインスピレーションを得ながらお互いに話をしたり、子供たちが体験しているのをほほえましく見ています。未来の学校もそのように定常的に様々な文化を体験できる場所であって欲しいと思いますね。

小川

清水さんと齋藤さんの話を繋げると、東京ミッドタウンのあるエリアに住んでいる人が、我々の言葉で言う「文化インフラ」、あそこに行けば新しい何か、ワクワクすることに出会える、学べる、人と繋がれる心理的ランドマークの位置付けになっていくのが理想ですよね。
アルスエレクトロニカ・センターも、1996年の開館当時は、〈未来の美術館〉と呼ばれていました。それが今では〈未来の学校〉とも呼ばれています。だから、東京ミッドタウンも同じように未来を生み出す場所であって欲しい。日本における「未来の学校とは何か?」という問いを皆で考えながら、ここでの取り組みが消費されるファッションとしてでなく「文化」として育っていって欲しいと思います。

藤谷

期待にそえるように頑張ります。みなさん本日はありがとうございました。

未来の学校PROJECT

▼アルスエレクトロニカメンバーとライゾマティクス 真鍋大度氏 が登壇する「アルスエレクトロニカ・フェスティバル 2021から紐解くみらいの文化的テクノロジー」トークセッションLIVE配信9/8(水)19:00~の詳細はこちら

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