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ARTICLE

VOL.032022.2.4(FRI)

みらいについて考えるってどういうこと?
~2022年に生きる私たちになにができるか〜

東京ミッドタウンとアルスエレクトロニカの協働プロジェクト「未来の学校」は、アーティストとその作品、そして作品に触れる人々を中心に、未来の社会を考える様々な取り組みを行っています。

しかし未来といっても、社会的または文化的背景によってイメージされるビジョンは変わるはず。そもそも未来を考えるということ自体が非常に抽象的です。

果たして、このプロジェクトのキーワードでもある「みらい」について考えることは、2022年を生きるわたしたちにとってどんな意味があるのか。そして、街や都市、コミュニティを、どのような要素として捉えていけばよいのか。

未来をプロトタイプするメディア『WIRED』日本版編集長であり、21_21 DESIGN SIGHTで開催中の「2121年 Futures In-Sight」展ディレクターである松島倫明氏をお迎えし、アルスエレクトロニカの小川絵美子氏と共に、お話を伺います。

(聞き手:東京ミッドタウン アルスエレクトロニカ連携プロジェクト プロデューサー 藤谷菜未)

話し手

  • 松島 倫明

    『WIRED』日本版 編集長

    松島 倫明

    未来をプロトタイプするメディア『WIRED』の日本版編集長としてWIRED.jp/WIREDの実験区"SZメンバーシップ"/雑誌(最新号VOL.43特集「THE WORLD IN 2022」/WIREDカンファレンス/Sci-Fiプロトタイピング研究所/WIRED特区などを手掛ける。NHK出版学芸図書編集部編集長を経て2018年より現職。内閣府ムーンショットアンバサダー。訳書に『ノヴァセン』(ジェームズ・ラヴロック)がある。東京出身、鎌倉在住。

  • 小川 絵美子

    アルスエレクトロニカ プリ・アルスエレクトロニカ ヘッド

    小川 絵美子

    オーストリア・リンツを拠点にするキュレータ、アーティスト。2008年よりアルスエレクトロニカに在籍、新センター立ち上げに携わり、以降、フェスティバル、エキスポート展示のさまざまな企画展のキュレーションを担当。2013年より世界で最も歴史あるメディア・アートのコンペティション部門であるPrix Ars Electronicaのヘッドを務める。

みらいについて考えるって?

藤谷

まず、お聞きします。
お二人にとって「みらい」について考えるとはどういうことでしょうか?

松島

実は、「未来について考えるとはどういうことか」を考えるのが、今まさに21_21 DESIGN SIGHTで開催中の「2121年 Futures In-Sight」展のテーマなんです。

藤谷

未来について考える、ではなく「未来について考えることを考える」ということですか?

松島

はい。なぜなら、未来について考えることは日常の中で誰もが多かれ少なかれ行なっている。しかし、「未来を考えるという行為自体がどういうことなのか」という問いかけならば、問題提起として面白いし、やる意味があると思ったんです。

藤谷

「未来を考えることを考える」ことは、松島さんにとってどんな意味がありますか?

松島

究極的には「人間とは何者か」を改めて問うことだと思います。「未来」という概念をもっているのはなぜ地球上で人間だけなのか、なぜ3年後や5年後といった自分にとっての未来だけではなく、1,000年後といった自分が決して存在することのない未来すら想像することができるようになったのか? そうした想像力によって、実際のところ人間はどんな文明や社会をつくりだしてきたのか? そうした根源的な問いを通して、まさに自分の未来への視座そのものがまた変わっていくという、本当に面白くて興味が尽きない行為なんです。

トーク風景

藤谷

その答えを、この展覧会を通して探していく、ということですか?

松島

はい。今回は日本だけでなく世界的に第一線で活躍されている72名の作家から、作品や言葉を寄せていただいているのですが、それぞれが、未来を考える上で大切な視座とは何かを考え、それを問いの形で提示してくれています。参加者は、そうした未来に対する多様な問いと視座を一堂に会することで、何か固定されたひとつの未来があるわけじゃなく、未来とは自分たちが自ら問いを持ち、編んでいくものだということを、それぞれ体験できるような場になっています。

藤谷

自分たちで探していくというところは、未来の学校が目指す世界観と一緒です。おそらく能動的に探していかないと、その答えは見つからないのでは?

松島

おっしゃる通りです。今回の展示では、その道筋を探すためのコンパスになるように、「Future Compass」(未来の羅針盤)というツールを作りました。これは、「5W1H」「時」「動詞」という3つのジャンルのワードを組み合わせることで、未来について「問い」を作るというもの。その問いから、「未来を考える」ことの深い洞察を一人ひとりが導き出してもらうという形を取りました。

藤谷

コンパスという言葉は、未来の学校プロジェクトでも非常にたくさん出てきます。その点について小川さんはどうお考えですか?

小川

未来について考えることは、一人ひとりが未来のコンパスを持つことだと常々思っています。なぜそれが必要かというと、一人ひとりが情報大航海時代の今を、誰かの意見に流されずに生き抜くためのツールだからです。「考える」ということは人間の脳にとって労力を使う面倒なことですが、人間そのものにとっては大切なことです。
そのコンパスの調整に一役買ってくれるのがアートです。
例えば東京ミッドタウンの未来の学校プロジェクトでは、普段は芝生しかないガーデンにアート作品が置かれているのを見て、「わ、楽しそう、でもなにこれ?」と興味を引かれ、そこから作品の問いに引き込まれ、考える。そのプロセスが、その人のコンパスの針をググッと変えてくれます。そういうことを繰り返すことで、自分の進むべき道や未来への視座が見えてきます。
毎年、アルスエレクトロニカ・フェスティバルに世界中の人々がやってくるのも、自分のコンパスを調整するためでしょう。

未来の学校 -OPEN STUDIO- “みらいのピクニック展” わたしたちの新しいコモンズ
未来の学校 -OPEN STUDIO- “みらいのピクニック展” わたしたちの新しいコモンズ

より良いみらいを作るためには、何が必要か?

松島

『海底二万里』などで知られるSF小説家ジュール・ベルヌは、「人間が想像できるものは人間が作ることができる」と言っています。また、ニーチェは「過去が現在に影響を与えているように、未来が現在に影響を与えている」と言っています。いま、ジェフ・ベゾスやイーロン・マスクといった富豪が宇宙にロケットを飛ばす夢を実現しようとしていますが、あれはテクノロジーの積み重ねによる必然というより、かつてのSF少年が想像した未来が、それを実現させようと今に影響を与えて、実際に新しい文化や文明を作っている例だと言えます。
一方で、「未来の暴力性」という考え方もあります。「皆が目指すべき」未来や、「これが正しい」という未来は、そのものが暴力性を持って他のあり得るべき未来を抑圧してしまいます。そういう未来からは、こぼれ落ちていく人が必ずいるということに気をつけなければいけない。

小川

私は、できるだけ偏った議論にしないということだと思います。
例えば、今年アルスエレクトロニカでは、「フェスティバル・ユニバーシティ」という、世界中から100人の学生をサマーキャンプに招いて未来について考えるということをやったのですが、仮にそれをヨーロッパの学生だけでやるのは、とても危険なことです。
一つの国にとって都合の良い未来を考えることが結果的にその国の利益にならないということは、今後どんどん起こりうると思うので、議論を取り仕切る人は、いかに多様な視点から議論されているのかに気を回すことが大切になってくるでしょうね。

藤谷

多様性のある議論の難しさは、昨年イギリスのグラスゴーで行われたCOP26における「議長の涙」が物語っています。どうすればそういう議論の場を作ることができるでしょうか?

小川

参考になるアート作品を紹介します。今年のアルスエレクトロニカ・フェスティバルで個人的に一番気になった作品です。「A Father’s Lullaby(ファーザーズララバイ)」といって、ラシン・ファンデージュ(Rashin Fahandej)というイラン生まれのアメリカ人女性の手によるものです。文字通り、お父さん達が子守唄を歌ったり、体験談を語ったりする映像作品なのですが、彼らはアメリカで有罪判決を受けて監査中にある人達なんです。きっかけは、彼女がボストン市のアーティストレジデンスに参加したこと。市長室をアーティストたちに開放したことで、こうした街の課題をテーマとした斬新かつ心温まる作品が生まれたのです。

“A Father’s Lullaby” by Rashin Fahandej
“A Father’s Lullaby” by Rashin Fahandej

藤谷

つまり、議論の場にどんどんアーティストを参加させるべきだということですね?

小川

ええ。それによって生まれた作品は、市民にとって考えるべき問題を、楽しい形で、かつ自分ごととして考えられるきっかけを与えてくれると思います。アーティストたちの持つ根本的な問いを生み出す力は、社会のみならず政治の場にも今求められているはずです。

松島

良い未来のためには、政治家ができることの範囲が少ない方がいいと僕は思うんですよ。グローバル・コモンズである「地球」の気候危機を扱うCOP26を見てもわかるように、今は国単位の政治で議論して最後にイニシアチブをまとめることが事実上難しくなっています。だから、これからは大きな政治の場で全ての合意を取ろうとするのではなく、町などのコミュニティ単位で小さい合意を重ねていくことが重要。その時に必要になるのが、日々の生活がグローバルイシューにまで連なっていることに自覚的な、いわば「生き方の解像度」で、その解像度を上げてくれるのが、一人ひとりにとってのアートなんです。

小川

東京ミッドタウンの取り組みも、アルスエレクトロニカ・フェスティバルも、そうした小さなコミュニティを作っているようなもの。それらが複層的に重なることが大事で、いろんなコミュニティを行き来しながら、自分のコンパスを修正して行ける社会が、サスティナブルということだと思います。

Ars Electronica Center Florian Voggeneder
Ars Electronica Center Florian Voggeneder

藤谷

東京ミッドタウンも、もっと多様な人たちを混ぜ合わせるようなやり方で、コミュニティ、議論の場を作っていかなければならないと思うのですが、どうすればいいでしょうか?

松島

コミュニティは「アソシエーション型」と「ネイバーフッド型」の2つに分かれると言われます。
アソシエーション型は目的別、例えばアートが好きな人が集まるコミュニティ。一方ネイバーフッド型は、今この場所に住んでいたり集っていたりする人たちのコミュニティです。
東京ミッドタウンは、その感性や価値観に共鳴した人々が集まるアソシエーション型ですが、「場所」に根ざしたコミュニティを考えるのであれば、「場所の文脈」は無視できないですよね。

藤谷

東京ミッドタウンという「場所」の多様性というのはどういうものでしょう?

松島

ノーベル賞作家のカズオ・イシグロが、「徒歩15分圏内の多様性」ということを言っています。コロナ禍前は世界中を旅していたといっても、結局は同じ価値観の人としか会っていなかった。でもコロナ禍でどこにも行けなくなったら、家の15分圏内に住む人がいかに多様性に富んでいるかということが分かったというのです。

小川

世界中を旅して同じような考え方の人たちに会いに行っていたっていうのは刺さりますね。多様性の近道は、先ほど紹介した「ファーザーズララバイ」がそうであるように、近くにいながら今まで知らなかった人たちを知るということかもしれません。東京ミッドタウンの徒歩15分圏内の多様性もぜひ知りたいですね。

藤谷

ありがとうございます。「みらい」を考えるには、まず足元からというわけですね。赤坂という場所にいる人たちとの繋がりを大切にしながら、多様性の場を作っていけるようにと思います。

第1回 未来の学校祭 “ObOrO” by Ryo Kishi
第1回 未来の学校祭 “ObOrO” by Ryo Kishi

21_21 DESIGN SIGHTで開催中の「2121年 Futures In-Sight」展の詳しい情報はこちらhttp://www.2121designsight.jp/program/2121/

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