

| テーマ |
応募者が自由に設定
東京ミッドタウンという場所を活かしたサイトスペシフィックな作品を募集します。 |
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| 審査員 | 金澤 韻、丹原 健翔、山出 淳也、山田 紗子、脇田 玲 |
| 賞 |
グランプリ(賞金100万円 + トロフィー)─── 1点 準グランプリ(賞金50万円 + トロフィー)───1点 優秀賞(賞金30万円 + トロフィー)─── 1点 ファイナリスト(3組)には表彰状を贈呈
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| 応募期間 | 2026年4月10日(金)~5月11日(月) |
| 応募総数 | 295点 |

私が住む福井県敦賀市は、高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉から、急速な高齢化と人口減少に直面し、近年「魂抜き」と呼ばれる、継承者のいない仏壇を処分する法要が急増している
本作は、一見すると関係性が見えない、この2つの現象を重ね合わせ、原発をめぐる議論を、賛成・反対という二項対立や、危険か安全かという二元論ではなく、地方の地域社会、家制度・家系の記憶の問題を巻き込んだ現実として重層的に捉え直す試みである
圧倒されました。いわゆる核植民地主義という世界中にある構造的問題に触れていますが、印象的なのは、命と生活とその拠点、人生と廃炉と時間など、私たちの生にまつわる--壮大でありかつ卑近なーー要素が、夢のようにスクリーン上で混ぜ合わされてひとつの像を結んでいること。仏の光について説く経典の言葉が現代語と英語で重ね合わされるとき、単純な善悪では捉えることのできない私たちの「業」のようなものまでが意識にのぼります。ただ後ろ向きではない。苦しみつつ達観するありように不思議と勇気づけられるのです。
二次審査でも評価が高かった德本さんの作品ですが、会場では変形LEDスクリーンで2チャンネルの映像を見せるという難易度の高い工夫がされていて、そこに作家のこだわりや覚悟のようなものが感じられました。二次審査で作家が社会的にセンシティブな題材とどう向き合うべきかが論点になっていたこともあり、最終的な展示からは、作家自身と題材との切実な関係が感じられました。本作のテーマが今後どのように深められていくのかに関心があります。
答えの出ない問題をそのまま投げかけるようなプレゼンテーションに、作家としての強い力量を感じました。 自らの出自や生きる場所、自分を取り巻く環境の強さは、間違いなく德本さんにとって制作のルーツであり、大きなアドバンテージです。ただ、現状ではその強み自体が作品のほぼ全てを占めているようにも見えます。例えば、同じ敦賀であっても、宇宙から見つめるような視点を得たとき、作品は次のステージへ進むはずです。今後の展開を楽しみにしています。
性根抜きで燃える仏壇と後ろに控えるもんじゅの並置が圧倒的で、書類審査から非常に期待していた作品。ただその周囲に生きる人たちの一義的ではない生活や感情は、それだけでも汲み取れるように感じた。個人的にはそれ以外の要素はなくても良いのかもしれないと思ったが、いくつかの要素が追加されたことでより多くの人に開く作品となったはずで、グランプリに相応しいのだと思う。作家であり地域に根ざす独自の職業もあるという立場が、作品をドライブしていくように感じる。アーティストの在り方が多様化する中で、これからの活動もとても楽しみ。
高速増殖炉「もんじゅ」と仏壇の「魂抜き」の風景が織りなす不可思議な美しさに強く引き込まれる。効果的に配置されたLEDモニターは問題の多面性を鮮やかに浮かび上がらせている。エネルギーと地域社会の関わりを積分的に捉えた本作は、原子力への人類学的アプローチともいえる。現役の僧侶でもある作者は、対象を安易に単純化することなく、複雑な現実と誠実に向き合い続ける眼差しを投げかける。そこには全てが繋がり響き合う重重無尽の世界観が見事に立ち現れており、人間の複雑さそのものを愛し、肯定する圧倒的な強さが宿っている。

©Ryoji Wakabayashi
空襲で家族を失った曽祖父の戦争PTSDを出発点に、戦争によるトラウマがどのように世代間伝達されているかをテーマに、当事者の子世代に取材し制作している。本作は個人の中に残る戦争トラウマを、土中に埋まった不発弾を見るように映像を通じて「覗き込む」作品。映像に映されている風景と、実際に存在する空席の椅子が虚実反転する装置によって、鑑賞者はいつしか土中の死者の視点で恐怖を追体験する。
視点について直感的に考えさせられる作品でした。下からのカメラで撮影した映像で、上から見下ろしているにも関わらず、地中から地上を覗き込んでいる気分になる。地中にいるのは誰かと考えたときに、死者の存在、あるいはPTSDを引き起こす過去の出来事を想起させるでしょう。重要であるがゆえに重いテーマを、矯めることも誇張することもせず、工夫されたプレゼンテーションによって鑑賞者にしっかりと手渡しています。
審査では、山中さんは特に今後への期待が高かった作家です。椅子の下が鏡のように映像を映すという、山中さんが開発した仕掛けはとても完成度が高く、会場でも多くの人を集めていました。また、映像作品も丁寧に練られていて、本作が扱う「日本での戦争トラウマ」という大きなテーマに作家が真摯に向き合っているように感じました。この作品がまた展示される機会があったら、もっと静かで内省的な空間で見てみたいと思いました。
テーマの強さと、それを支える表現方法の双方が魅力的な作品でした。
一方で、今回の展示環境を踏まえると、もう一歩工夫があればさらに高い評価に繋がったのではないかと感じます。
作品の奥深くにある核へ、いかに鑑賞者を導くか。今後、展示の経験を重ねる中でその術を磨き続けてください。これからも注視していきます。
「戦争」体験が遠ざかった世代や人を超えて、伝達できることが限られていく中で、個人として共有できる本質的なものに絞って直感的に伝えていると感じた。それは山中さんが作った反転する装置や長すぎると言われた沈黙の中にもあるようにも感じた。映像作品であることを超えて空間も巻き込むことで、より鑑賞者に開いていると思った。グランプリになってもおかしくない作品だったが、展示場所との相性はなかなか難しい。
戦争によるトラウマは世代を超えていかに伝達されていくのか、という重たいテーマを扱っている。本作は、インタビューや生活の描写が、不発弾の視点、あるいは戦禍に倒れた亡者からの視点を通して映し出される構造が見事である。安易に市販のARデバイスを用いることなく、独自の装置を発明した点も高く評価したい。この倒錯した視点は、戦争トラウマが内包する不穏な気配を鑑賞者に直感させる。映像の隅々にまで行き届いた丁寧な作り込みも素晴らしい。
「都市の中の一人ひとりの噴水は、例えばスタバのコップの中にあるのではないか」という仮説から出発する。温度や時間の経過によって変化するカフェカップ内部の小さな流動を、極めて私的な「噴水」と捉え、境界の曖昧な噴水の構造と重ね合わせ、その不可視の流れを連続する絵画面による立体として可視化する。都市に潜む個人的な時間や内と外の揺らぎを、一時的なオアシスとして画面上に立ち上げ、都市と個人の関係を問い直す。
手の中のカップに起こる対流が、噴水に見立てられ、それがさらに立体的な絵画として表されるという、いくつかの異なるスケールを横断しながら想像され実現された作品です。繊細な色彩の選択や、心をほどかれるような筆跡を見ていると、そうしたイメージが重ねられた私たちの日常の情景(カップや噴水や、それらを取り囲む風景)までが美しく輝いて見えてきます。
多様な画材を使った本作の細部には、作家の遊び心や躊躇、実験性などが感じられ、それらが造形やコンセプトの単なる装飾ではないことがわかります。むしろ、モニュメンタルなスケールで立体的に設置されても絵画的な魅力があるのは、平松さんの高い技術があってのことだと思います。カフェのコップを都市の噴水に見立てる、というユーモラスな画題も、立体の重厚感に軽やかさを与え、そうしたバランス感覚に優れているのだと思いました。
すっきりと軽やかな秀作です。ただそこに存在しているだけでどこか安心感を覚えるような、そんな魅力をもった作品でした。
今後さらに作品の完成度を上げていく平松さんの姿が目に浮かぶのですが、時には「暴投」があっても面白いかも。ほんの少し破綻を含んだ、平松さんの作品も見たいです。
ドローイング自体のみずみずしさ、七角形の不思議な存在感が印象的だった。本来は手摺を背にする配置より、広場の真ん中にすっと立っている方が良さは引き立ったかもしれない。噴水は作者にとって重要なテーマだが、それぞれの人が手元に持っているコーヒーカップの中に噴水がある、という思考の広がりが、作品の中にもっと現れていると良かったように思う。
都会の噴水は自分が手にする飲み物のカップの中にあるのではないかという詩的な仮説から立ち上がる絵画である。みずみずしい色彩、重力とは無縁に上下へ自由に伸びる絵の具の流れ、そして全体を満たす圧倒的な透明感に心を奪われる。作品は高さのある角柱として立体的に組み上げられているが、その極めて高い透明感ゆえか、彫刻的な威圧感は全く感じられず、むしろ作品と一緒に自らも空間に溶け込むような不思議な安堵感をもたらしてくれる。
美術教育というある種の呪いによって強迫観念に近かった「“うまく”描くこと」や「彫刻が“ある”こと」
「“ない”彫刻こそ本質である」と気付いた時に、自分が受けてきた、自分が授けてきた美術教育という呪いから解放された。
“ない”彫刻の内と外からの景色を、この東京ミッドタウンという場所で見てみたい、見てほしい。
それは、新しい彫刻概念と未来の美術教育へ辿り着くための最初の景色になるかもしれない。
二次審査を経てノイズが削ぎ落とされ、すっきりと整理されましたね。
勝手なことを言うと、今回のステップは先へ進むためのイニシエーションであり、本当の飯村さんの作品はこの次だと思っています。
表現することから逃げない。作為や巧拙を超えた「これ以上でもこれ以下でもない」完成作を見せてください。
呼吸は、絶え間なく繰り返される身体の営みでありながら、一つとして同じものは存在しません。この作品は私が1日に意識して行った呼吸の記録を可視化しました。積層した色彩と反復する数字は、目には見えない時間の厚みと、呼吸によって刻まれる1日の痕跡を静かに浮かび上がらせます。
スピード感のある社会のなかで、数字を追うことを通して、置き去りになりがちな身体のリズムに立ち返るきっかけとなればと思います。
インクを吸った24枚の紙は、まるで意識が低下する睡眠時から最も活発な日中へと移り変わる内的な光を表しているよう。その上に淡々とつけられた呼吸の記録は、私たちがただそこに生きているということを「一緒に確認してみましょう」と導きます。ここにメッセージらしいメッセージが規定されることはなくて、「作品発表」といった機会においては控えめに映ったりもするわけですが、私はそれをこの行為者の公明正大な心持ちの表れのように感じました。
木版画を制作していると、彫る・摺るという反復のなかで、自らの身体と時間が画面に刻まれていくように感じる。それは、鍛錬を重ねながら技と物語を紡ぐプロレスと響き合う。本作では、合戦絵を下敷きに弾丸の軌道をリングロープへ置き換え、ラワンベニヤの荒い木目・彫り跡・摺りの軌跡を活かし、プロレスの力強さと躍動感を表現した。私がプロレスに勇気づけられてきたように、現代を生きる人々へ前へ進み続ける力を届けたい。
プレゼンで一番、場所性について説得力を感じた作品です。二次審査の時からコンセプトも進化していて、木版画である必然性も理解できました。社会で人が担う「役割」をプロレスに見立てるという発想も、東京ミッドタウンのエリアを行き交う人々が共感できるものだと思います。一方で、引用元との関連性や戦争画についてさらにリサーチを深めていくことで、より発展性のあるシリーズになるかと思います。
一次審査から最終審査まで、非常にレベルの高いコンペティションでした。表現することの難しいテーマや感興についても果敢に取り組む作家たちに出会うことができました。また、創造することの楽しみ、喜びに満ちた作品をいくつも拝見しました。コンペティションは答え合わせではなく、審査にあたる私たちもまた、新しいものの見方や価値の中に投げ出されます。そういう意味で本当に取り組みがいのある回だったと思います。挑戦してくださった応募者の方々に心から感謝します。
ファイナリストの作家の皆様は全員、展示場所となる公共空間で、どういった人がどのような形で作品を見ることになるかを想像するところから展示を準備されたと思います。そうした想像のプロセスが作品をよりよくしていくことを、二次審査のプレゼンから実際の展示に至るまでの作品の変化に感じました。作品そのものの完成度、東京ミッドタウンという場所性、作品が扱う題材との向き合い方など、複数の審査の軸のなかでも、今回の展示にとどまらない拡張性を感じさせる作品が、最終的に受賞することになったと思います。
ファイナリストの作品には、それぞれの「現在」がよく表れていました。皆さんがここから「先」へ向かおうとする時間を共有できたことを、大変嬉しく思います。どの作品からも、確かな可能性を感じました。
一方で、最初に投げかけた「まだ名前のついていない世界が見たい」という問いに対しては、その入り口がまだ少し遠くにあるようにも感じられます。
しかし、だからこそこれからが楽しみです。「これまで」の物差しでは測れない、自由自在な未来をつくっていく皆さんと、またどこかで再会できることを期待しています。
多くの人が行き交う東京ミッドタウンの移動空間で、それぞれの作品の個性が際立っていた。上位受賞の2作品はどちらも一筋縄ではいかない社会問題を扱っている。ビデオアートの形式を用いているが、その眼差しは映し出される当事者、またそれを鑑賞する体験者に寄り添い、社会と個人の橋渡しをしようとしている。彼らの率直でぶれのない思いや、それを伝えるためのメディアへの試行錯誤に心を動かされない審査員はいなかったのだと思う。 優秀賞と入選の3作品は作家本人が手を動かしたことによる痕跡がそのまま形となって現れている。日髙さんによるプロレス版画の肉体的なぶつかりや木版画のきりっとしたエッジは、商業空間の中で異質な存在感を示し、美術が持つ根源的なエネルギーを感じた。
今年のファイナリストの作品はいずれも力作揃いで、二次審査からの確実なレベルアップを感じるものでした。一方で、最終審査の過程ではあまり悩むことなく、審査員での合意形成も円滑だった印象があります。2026年という時代と呼応するコンセプトを打ち出せているかどうかが最終的に効いていたと感じます。生成AIの急速な進歩に触れていくなかで、人間が自分の手を使ってものを作ることの価値や意味が揺らいでいるような感覚をもっていましたが、この審査を通してその雲は綺麗に晴れていく実感がありました。
受賞者・ファイナリストの中からパートナー企業・機関が選出した方へ、副賞としてパートナー賞が授与されます。
パートナー:三井デザインテック株式会社
内容: 三井デザインテック本社での作品展示
三井デザインテックが追求する「ウェルビーイングなくらしの実現」に向けた空間創造において、噴水や一杯のコーヒーカップをモチーフとした本作品は、まさに都市や人々の日常に瑞々しい潤いをもたらすものです。卓越した技法と立体的な造形美によって紡ぎ出されたその世界は、日々の風景を生き生きと輝かせ、新たな空間価値の創出に多大なる寄与をいただけるものと確信し、今後のさらなる協働への期待を込めてパートナー賞に選定いたしました。
アートコンペ総括
アートコンペでは、テーマを「応募者が自由に設定」とし、東京ミッドタウンを代表するパブリックスペースであるプラザB1を舞台に、場所を活かしたサイトスペシフィックな作品を募集しました。19回目となる今回は、総計295作品の応募がありました(応募条件は39歳以下、1名〈組〉1作品案まで)。審査は新たに参加した3名を含む5名の審査員のもと、「コンセプト」「場所性」「芸術性」「現実性」「独創性」の5つの基準で進められました。
一次審査では、書類審査を経て12作品を選出。二次審査では、模型や参考作品を持ち寄った作家たちと審査員が一堂に会して審査を行い、最終審査に進む6作品を選出しました。二次審査通過者6組には制作補助金として100万円が支給され、2026年9月9日(水)より作品を設営。9月16日(水)の最終審査にて、グランプリ、準グランプリ、優秀賞の各作品を選出しました。グランプリに輝いた作品は、作家自身の問題意識を東京ミッドタウンという公共空間で発信する強い覚悟が高く評価されました。
本年度はインスタレーション作品の応募が最も多く、絵画、立体がこれに続きました。地域別では関東圏からの応募が最多で、近畿・中部が続き、応募者の平均年齢は28.4歳でした。
作家たちは、展示場所となる公共空間で誰がどのように作品と出会うのかを想像しながら、自身の表現を東京ミッドタウンという場に重ね合わせ、二次審査から最終展示に至るまで作品を大きく進化させました。社会的な課題に真摯に向き合う映像作品から、作家自身の手の痕跡がそのまま形となった作品まで表現は多岐にわたり、生成AIが急速に進歩する2026年という時代において、人が自らの手でものをつくることの価値をあらためて見つめ直す審査会となりました。
また、受賞者およびファイナリストの中から選ばれた作家に、パートナー企業・機関より副賞が贈られる「パートナー賞」(昨年度新設)では、本年度のパートナー企業である三井デザインテック株式会社より、《噴水(cafe cup)》を制作した平松 可南子さんに同賞が授与されました。
受賞された3名の皆様に大きな拍手を送るとともに、ご応募いただいたすべての皆様に心より感謝申しあげます。